夏俊峰、頭七(7日目)に瀋陽で葬儀――数百人のネットユーザーが見送りに殺到
2013年10月1日、夏俊峰は頭七(7日目)に葬儀が行われ、家族は瀋陽記念陵を訪れ、親戚や友人のほか数百人のネットユーザーが見送った。当局は関連情報を封鎖し、削除した。
「我死也不服,我是正当防卫。」
夏俊峰は1976年遼寧省鉄嶺生まれ。工場を解雇された後、瀋陽の路上で屋台を開き生計を立てていた。2009年5月16日、路上で屋台を出していたところ城管(都市管理要員)に調理用ガスボンベを奪われ、城管事務所に連行されて複数の職員から激しい暴行を受けた。命の危険を感じた彼は身を守るため小型ナイフで抵抗し、暴力を振るった城管2人が死亡、1人が負傷した。裁判では城管による先制の集団暴行を目撃した証人たちの証言がことごとく却下され、2013年9月25日、夏俊峰は中共の悪政によって処刑された。享年36。民衆は彼を理不尽な暴力に抗った英雄と讃え、葬儀には全国から数百人の市民が監視をかいくぐって駆けつけた。
2013年10月1日、夏俊峰は頭七(7日目)に葬儀が行われ、家族は瀋陽記念陵を訪れ、親戚や友人のほか数百人のネットユーザーが見送った。当局は関連情報を封鎖し、削除した。
2013年9月25日、最高人民法院が死刑を核准した後、遼寧省瀋陽の露店商・夏俊峰は中国共産党の悪政により処刑された。在此之前、彼は街頭で露店を出していた際に城管に暴行を受け、やむを得ず刀を抜いて自衛反撃し、城管2名を死亡させた。裁判所は弁護側の目撃証言の採用を全面的に拒否し、全国の法学者・弁護士・市民による数年間の署名活動「刀下に人を留めよ」を引き起こした。夏俊峰は死の間際に「死んでも納得しない。私は正当防衛だ」と遺言を残した。
2013年4月、二楼出版機構は夏俊峰の息子・夏健強の画集を5000部刊行、定価128元。その後、画作はジミー(幾米)の盗用を疑われ、論争を引き起こした。
2011年5月、夏俊峰事件は最高人民法院の死刑復核に進み、その後、学界とネットユーザーが「刀下留人」の声援を発起した。ただし、具体的な発起時期と数十万人規模である点は検証できていない。
2011年5月9日、遼寧省高級人民法院は二審の終審として、瀋陽市中級人民法院の一審判決を維持し、夏俊峰に死刑を宣告した。弁護人は夏俊峰の行為が正当防衛であると主張したが、採用されなかった。
2009年11月11日、瀋陽市中級人民法院は一審で夏俊峰を故意殺人罪により死刑に処した。弁護人は、裁判所が6名の目撃者の証言の採用を拒否し、城管の証言を採用したと述べた。
2009年5月16日、夏俊峰夫婦は瀋陽で無許可の露店販売をしていたとして城管(都市管理職員)に摘発され、浜河勤務室で城管と衝突。刃物を用いて城管2名を死亡させた。弁護側は先に集団暴行を受け自衛したと主張したが、裁判所は認めなかった。
2009年5月16日、夏俊峰夫婦は瀋陽市沈河区で無許可の露店営業中に城管に摘発され、夏俊峰は執法職員に従ってビンホー勤務室へ赴き処罰を受けた。
夏俊峰は遼寧省鉄嶺県の出身で、妻とともに瀋陽で露店を営んで生計を立てた。正確な出生日である1976年12月11日と、工場からの下崗(リストラ)経験は確認できなかった。
忘れないことは、屈しないこと。